しょんまおの上海生活

22年振り返り

只今、日本帰国中。すでに日本、中国ともに入国時の隔離はなくなったので、隔離されて時間を持て余すということはなくなったけど、記録として22年の振り返りを書く予定。

22年はコロナに振り回された年だった。

4月、5月と2ヶ月のロックダウン。食料確保に苦労した。

6月以降も中国はゼロコロナ続行。
一日おきのPCR検査に、どこに行くにも場所マというQRコードのスキャン。
会社や小区で濃厚接触者がでれば、会社や小区を2日間封鎖。

11月はディズニーランドに陽性者が立ち寄ったということで数万人が濃厚接触者カウント。会社のスタッフの中には、子供が通っている学校のクラスメイトがディズニーで濃厚接触者になり、スタッフの子供が濃厚接触者の濃厚接触者となったので、自宅隔離…。隔離される人の定義ってなんですか。

その後、ウルムチ火災を受けて白紙運動が起こり、12月はフルコロナ突入。もちろん私も感染。

今は、公共交通機関に乗るにもマスクは強制ではなくなり、会社でマスクつけている人は皆無。日本のほうがマスク率高いぐらい。

上海の至るところにあった仮設PCR検査場

プレハブの検査場はほとんど撤去され、ごく一部の場所は警察に変わっていた。

おそらくプレハブ再利用、エコですな~

外からはプレハブ内の様子は見えません

 

友人の状況

私が住んでいるところはお金さえ出せば食料は確保できるし、日本人が2割ほど住んでいるため日系の食品も購入でき、かなり恵まれた環境だったと思う。

(小区には日本語グルチャもあり参加者300人以上)

しかし、ある友達が住んでいる所は、商業地区として登録されているため、配給一切なし。その代わり出入りは自由だったのだが、外に出ても店が開いていないため食料が確保できず、値段は高いが個人で購入できる西洋系スーパーを利用したり、小区内を移動できる友人に頼んで食料を送ってもらったりしてやり過ごしたが、ある日、道端に落ちている生姜を見つけたので、拾って食べたとのこと。

また別の友人は、上海出張中にロックダウンになってしまい、ホテルから最初の配給が来たのは3週間後(同じホテルの別の人にはもう少し前に配給が届いていたらしい)。友達は日本から若干の食料を持ってきていたけど全く足りず、とうもろこしの芯を刻んで食べたらしい。

日本でも報道されていたが、ロックダウン中に上海で日本人二人が亡くなり、噂では、栄養失調と自殺とも聞く。

これらは戦時中ではなく、2022年の出来事…。

店内飲食

ロックダウンが終わっても店内飲食は認められておらず、完全に解禁になったのは6月29日から。

しかしその間もデリバリーなどがあるため、友達と集まって食べるのには不便だが、好きなものが食べられる状態ではあった。

6月初旬頃は、テラス席併設の店は「テイクアウト用のものを、勝手に客が外の席で食べているんです」という体で、飲食ができた。私がテラス席で食事をした時は、料理はテイクアウト用の紙皿で提供され、個々の取皿はテイクアウト用の蓋。ボトルキープをしている友人の酒は、1杯作り終わると早々に店内に引き上げられる仕組み(笑)

しかし初旬はこのような運営ができていたが、非正規で営業していたカラオケ屋でクラスターが発生すると、このグレーな飲食も取締りが厳しくなり、テラス席飲食もできなくなった。

当然、闇営業をしているレストランはあり、常連さんの予約であれば店内飲食が出来るところや、外から店内が全く見えないようにガラスにフィルムが貼ってある店、入り口から全く見えないように荷物を置いている店など様々。

私も飛び込みで店内飲食ができる店に行ったら、食事している途中で、そのショッピングモールのガードマンがやってきて店長に何か伝えると、店長は店の中の電気のほとんどを消し、携帯式の照明をもって厨房に向かう。

別の店員は店の外に出て、店の外側から鍵を掛けた。その後、店の外から電話で店の光の漏れ具合を伝え、店長がその指示に従って照明を調整する。15分後ぐらいして、店の外にいた店員が戻って、通常の営業に戻った。

なお、飲食店が営業できない期間の収入補償などは一切ない(国有企業の建物を借りている場合は、家賃6ヶ月免除はされる)。営業できないと生きていけない状況。

ロックダウンでお気に入りだった日本料理屋が何軒も潰れた。資金力がないところはやっていけない。

6月1日ロックダウン解除

ついに開放される日がやってきた。この2ヶ月の間に○日に開放らしいという噂を何度も聞いたので、開放されるのか半信半疑だったが、6月1日に無事開放。もちろん平日なので朝から出勤。

6/3-5は端午節で休みとなるため、6月1日から出勤する人は少数派らしくラッシュ時間帯の地下鉄もガラガラ。

駅員は防護服を着ている

ロックダウンの2ヶ月で伸びた街路樹で標識が見えないため、剪定している

 

同じ道でロックダウン前3/25に撮影した写真

会社でスタッフが飼っていたウーパールーパーは茶色に干からびていたけど、別の水槽にいた魚の一部は生存していた。生き物には申し訳ないけど、最初ロックダウンは4日で終了すると思っていたから仕方がないよね…。

ウーパールーパーの写真は自主規制…

 

地下鉄やオフィス、スーパーなど、どこに行くにも72時間以内のPCR陰性証明が必要なので、結果がすぐに出ないことを考え、基本的に2日に1回検査を受ける。

 

会社近くの仮設PCR検査場



 

公衆トイレも場所マと呼ばれるQRコードをスキャン

場所マは誰が何時にその場所を訪れたことを把握できるもので、QRコードをスキャンすると健康コードが表示される(時間、場所、PCR結果が出る)。ビルに入るためにはこの画面を見せるか、機械にかざす必要がある。

24時間以内のPCR検査、陰性

現在もこの方法が取られており、ロックダウン当時は会社に入る時は72時間以内のPCR検査結果でよかったが、会社がある街道で封鎖されるエリアが発生すると48時間以内のPCR検査結果を求められるので、毎日PCR検査。おそらく現段階で私のPCR検査回数70以上。

 

 

外出2回目

スーパーに行きたい人の統計が数時間で締め切られたことから、行きたくても行けなかった人たちのために再度スーパーの招待状と通行証が配られた。
上海市の規定だと私達は自由に街道内を行動できることになっているが、感染を恐れる街道が勝手に規制し住民を小区から出させないようにしている。
そこで、私の棟を管理している管理会社社員が「まだたくさんの人が外出できていないのだから、早く戻ってきた人の通行証を使って、外出したい人が外出すればいいじゃないか」と提案してくれたので、私も夕方から1時間だけ外出ができた。
せっかくなのでシェア自転車を使って遠出。街道での検問もなく、区を跨いでも誰にも規制されない。


時間が限られているので上海のランドマーク「武康大楼」へ。ここは徐汇区になり、徐汇区はこの頃には自由に外出できるようになっていたので、19時だというのに人が多い。

武康大楼

青空マッサージ店もオープン


テラス席のあるレストラン(レストランは当然営業していない)で食べ物を持ち込み食事する住民(笑)

 

伸び放題の芝生

 

52日ぶりのスーパー

直談判の結果、希望者には、通行証とスーパーの招待状、N95のマスクが配られた。なおこれらがあっても1家族1人しか外出できない。

スーパーの招待状には、入店できる時間は1時間、うち40分は買い物時間で20分は消毒する時間。購入額は500元を超えてならない、などと書かれている。

棟のグルチャには久しくカルフールに行っていないから迷子になるかも(実際はまっすぐ100メートル進めば着くので、寄り道するという意味かと、笑)と浮かれたコメント多し。

乗客ゼロのバスが走っていた

ショッピングモールもスーパーしか開いていない

スーパーに入る前に場所マ(QRコード)を読み取り、検温され、配られた使い捨て手袋をして店内に入る。

それなりに食料はある

人数制限をしているため、店内は混雑しておらず、米などの食料も豊富にあり、私は調味料とアルミホイル、ラップなどを購入。

野菜などの生鮮食品がほしかったが、この状態。

 


午前中からスーパー開いているんだから、午後3時半なんかには野菜ないよね…。

スーパーにも出かけられない人が大勢いるんだから、外出できただけでも直談判をしてくれたマンションの人達に感謝。

 

 

直談判

5月に入った頃は感染者数は数千人と減る気配がなかったが、中旬になると千人台まで落ち着いてきたため、上海市は段階的に商業活動を再開させると発表。
私の道街からも、防範区に該当する住民で通行許可証を持っている人は、街道指定の店(数万人の住民がいる街道で指定の店はコンビニを含めた6店舗のみ)で買い物ができると発表された。
私が住んでいる小区も防範区に該当するのだが、発表から数日経っても通行許可証が配られる気配なし。

痺れを切らした住人(香港人)が棟のグルチャで希望者を募り、居住委員会に直談判しに行った。住人の弁護士や西洋人も参加し、居委会でのやりとり(音声)はアプリで生中継。数時間後には要旨をまとめた文書をグルチャ内にアップされ、外出を求める署名活動が始まった。このスピードと行動力はさすが中国。
直談判の効果はすぐに現れ、2日後にスーパーに行きたい人の統計が始まった。
この一連の活動中にグルチャに上がっていた言葉「会哭的孩子才有糖吃」…泣く子は飴がもらえる、の意味。なるほどね~