しょんまおの上海生活

船便

今回は台湾経由で帰国したため、飛行機への預け荷物の制限が日本中国直行便より少ない(通常の半分・・・)。そのため荷物に載せられなかった部分は船便で送ることにした。
以前はEMSや船便で荷物を送っても関税を徴収されることはほぼなかったのだが、この数年はほぼ徴収される。
この関税もネットで手続ができるので、税金を支払えば送付先まで持ってきてくれる(手続きも簡単)。
そんな訳で、今までの経験、友人情報およびネット情報を参考に、税率13%の食品のみを、1箱800元以内(16000円以内)にまとめて自分宛てに送ったのだが、追加申告してください、と通知が来た・・・。

もちろん内容物と数量、金額、HSコードは船便の送り状に記載済み。
若干、値段を低めにつけておいたとか、クリープが乳製品として引っかかったのかとか、思い当たる節はある(笑)
代理申告を30元(600円)でやってくれるというのもあったので、お金を払ったが、自分の情報を入れる際に、購入時の証憑をアップロードする必要があり、代理申告は断念、自分で郵便局に行くことにした。

この通関できる郵便局は町中から外れた場所にあり、しかもネットで事前予約が必要。
予約した時間に行き、申請書類を記載して、パスポートコピーとともに提出。
申請書は自分の情報と、荷物の内容物を人民元で記載が必要(船便送った時は日本円で記載)
申請したらシールになっているバーコードがもらえるので、その番号が呼ばれたら窓口に行き、税金を納めるという仕組み。
もちろん税金も電子マネーで支払う。
手続きする時間よりも、税金の支払い待ちの時間と、荷物が出てくる時間を待つ時間の方が圧倒的に長かった。

荷物を引き取る際に職員に、何が問題だったのですか?と聞いたら、「わかりません」という答えだった。
やっぱりねー、想像通りの答えだったわ。
代理申告代も郵便局の収入になるから、一定数の抜き取りチェックを行っているとか、そういう理由だと思うわ。
やっぱり荷物は自分で運ぶのが一番!

郵便局の待合所

 

22年12月 フルコロナ

中国がゼロコロナからフルコロナへ舵を切ってからコロナはものすごい勢いで広がった。
私も例に漏れず12月中旬に感染。頭痛と体のだるさ、高熱で風邪ではなくコロナだな、とわかった。
私は熱が38.8度まで出たが、3日目には平熱まで下がり、5日目には鼻詰まり以外ほぼ完治。
喉の痛み出なかったし、1、2日目は辛かったが、全般としては風邪以下。
感染したスタッフや友達は、喉の痛みや鼻水が出ている人が多く、軽症の人の方がほとんどだが、肺炎になった人もいるので個人差があり。

ものすごい感染力なので、次々とスタッフも感染し、上海で出勤させている部門(在宅ができない部門)で感染がひどい時は16人中2人しか出勤できなかった。
(結局、スタッフ約50人のうち感染しなかった人2人・・・、うち一人はロックダウン中に感染済み)
当然仕事が回らず、日本本社は感染スピードが理解できず、もっと仕事を受けられるんじゃないかとクレームが入った。
日本で感染者が増えても、2週間で社員全滅なんてことはないから、理解できなくても当然だけど。

私は7日後に陰性になったので8日目から外出。
陽性明けの友達と近所の日本料理屋にランチに行ったけど、お客さんはほとんどいなかった。

モールにも行ってみたが、結構閉まっているお店が多かった。どこもスタッフが感染してしまい店が開けられない。
写真は、five guysは店内飲食させずデリバリー対応のみ。

シャッターを閉めているハンバーガー屋


銀行も対外業務は停止。

12/26-28まで対外業務停止のお知らせ


そんな中、感染したら重症化する危険のあるお年寄りは公園でダンス(笑)

 

22年11月 ウルムチ火災 

10月に日本人オーナーの花屋に行った時に、「お客さんの中に、上海でロックダウンを経験し、その後新疆に出張したら新疆でもロックダウンに巻き込まれ、一瞬(2日間ほど?)空港が開いたけどまた閉まってしまい、未だに新疆でロックダウン中の方もいるんですよー」という話を聞いた。
新疆がロックダウンしているという話は聞いたことあったけど継続中だとは知らず、新疆大変だなーと思っていた。

その後、日本でも報道されていたがウルムチ新疆ウイグル自治区省都)で11/24に火災が起き、住民が逃げられないまま10人が亡くなった(ネットには亡くなった人44人とも)。
この件に関して中国各地で若者を中心に追悼及びゼロコロナ抗議(白紙運動)が起きていた。
上海のウルムチ路という道でも11/26に抗議活動が起き、「共産党辞めろ!習近平辞めろ!」と人々が叫んでいた。
政権批判は個人にとってかなりのリスクがあるが、それでも叫ぶというのは人民の不満が相当高まっているという証拠。
私はツイッター(中国では使用制限されている)で、上海でも抗議活動をすると知ったのが、日本のニュースで中国各地で抗議活動をしているという報道がされている段階でも、会社スタッフの中には、そんな抗議が起きてるなんて知らない人も結構いた。

ウルムチ路は会社から近いので、次の日の昼休みに見に行ってみると、道の両側にバリケードが置かれ、主な交差点には何人もの警官が立っている。またパトカーも頻繁に走り、厳戒態勢。

青のバリケードが続く・・・

ちなみにウルムチは100日以上ロックダウンが行われていたが、ウルムチ市内での抗議活動後に、社会的ゼロコロナを達成したと言って段階的にロックダウン解除すると発表された。

  

22年10月 濃厚接触者となる2

虹橋空港近くの宜尚ホテルだった。
部屋は、自己主張の激しいベッドカバー(笑)

足元に、かわいい


入国時の有料のホテルと違って狭いし、冷蔵庫もない。
濃厚接触者としての隔離ホテルは3食付きで全額無料だからこんなものかな。

食事も美味しくない。基本、同じ材料を使いまわしなので、どの料理も同じ味。
デリバリーは禁止。常温のヨーグルトはOKなので頼もうとしたら、ネットスーパーの配送地区外…。

窓はあるけど建物の内側にある窓なので窓を開けると1メートル先の別の人の窓がみえる。
天気もわからないし、部屋で煙草を吸う不届きものがいるらしく、窓を開けるとタバコ臭い。

日差しがないので、部屋の中がかなり寒い。入国時の隔離ホテルはエアコンが使えたので、外の気温が何度になろうと快適に過ごせたけど、このホテルはエアコンは使用できない。
あまりにも寒かったのでフロントに連絡すると「では、布団をもう一枚持っていきます」と。
電気ストーブのようなものがほしかったのだが、布団で我慢。ついでにバスタオルももらってひざ掛けにした。

 

毎日2回の検温と、PCR検査。
このPCR検査は、粘膜を採取するときに、喉に触れるか触れないかというソフトなもので、いままでやった検査のなかで一番やさしいものだった。
陽性者がでるとホテル側も面倒なので、意図的にこの方法にしているのか(笑)
それでも最終日のPCR検査は、喉の検査以外に、部屋の絨毯およびスマホの表面も検査していった。

 

隔離期間は7日間と聞いていたが、7日目になっても連絡一切なし。
隔離については長寧区疾病コントロールセンター管轄になるから、ホテルスタッフに聞いてもわからないだろうなーと思ったが、PCR検査に来た人に聞いてみると明日解放されると思う、夜には電話がかかってくるよ、と。
が、次の日になっても全く連絡がないので、ホテルに確認すると、今は規定が変わって7+3(7日間施設隔離、3日間自宅隔離)の3日間もホテルで隔離することになりました、と。
上海市の規定は変わっていないのだが、陽性者が増えていることもあって勝手に長寧区が隔離を厳しくしたものだと思う。
知り合いにも私の後に濃厚接触者になった人がいたけど、隔離ホテルが足りないということで、10日間自宅隔離だった。
逆に日本人でホテルではなくプレハブの隔離施設に移送され、すのこで寝た人もいるので、まだホテルで隔離されるだけましなのかもしれない。

 

10日目に無事ホテルから、今日の24時に解放されます。自分で帰ってもらいますが、24時が不便なら明日の9時でもいいですよ。どちらにしますか?と連絡があった。
もちろん24時を選択。24時と同時に部屋を出たがすでにエレベーターホールには大勢の人が待っていた。エレベーターは2基あるけど、解放される人用は1基のみ、階段も使用不可のため、私がいた3階の人が上にのぼるエレベーターも占拠するので、5階の人は乗れない仕組み(笑)

エレベータを待っている人を見ると、荷物がバックパック1個という人もかなりいて、どのように10日間過ごしていたのか謎。
私なんて7日間は洗濯しなくてもいいよう荷物を大量に詰め込んできたというのに(隔離期間延びたから洗濯したけど)。
ちなみに隔離期間が10日間だったということは、期間中に誰も陽性者にならなかったことを意味する。時間とお金、人の無駄遣い・・・。

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22年10月 濃厚接触者となる1

コロナ前の国慶節休暇には、中国国内旅行に出かけていたのだが、ゼロコロナ継続中の中国では、旅行先で感染した場合や濃厚接触者になった場合には、会社やマンションが封鎖される可能性もあるため、大人しく上海で過ごすことにした。
休みに入る直前に会社のサーバーの調子が悪くなったため、国慶節はその対応のために出勤し、それ以外は友達と近所で食事。


休み最終日(10/3)に、自分が住んでいる小区内にあるジムの有料プログラムを予約してあったので、会社に数時間出勤しその帰り道に日本出張中で中国は休みだという考えのない上司から、「地方出張中で作業できないから、代わりに作業してメールで送っておいて。割りと急ぎ」と電話が来た。
簡単な仕事なので30分もかからないのだが、ジムの予約時間が迫っている。
急いで作業して提出し、ジムへと向かった。

 

次の日は、普通の会社は国慶節休みだけど、私の会社は振替出勤。
夕方からのBBQに誘われたので、1時間早退してBBQ会場に向かい、BBQ会場の敷地に入ろうと思った瞬間、知らない電話番号から電話がかかってきた。


日本語で「長寧区(私が住んでいる区)の下の組織の者ですが、しょんまおさんですか?」
んんん?嫌な予感・・・
「10/3の16時頃ジムに行きましたか?」※
「行きました」
「濃厚接触者となりましたので、隔離ホテルで7日間隔離になります。今どこですか?小区に迎えに行きますので準備してください」と。

※商業施設やレストランなど、どこに入るにも場所マといわれるQRコードをスキャンさせられるため、誰がどの時間に入店しているか政府が把握しているので、すぐ連絡が来る


予感的中、BBQ会場に入る前だったから友達には迷惑をかけなくて良かったけど、会社に出勤しているから、微妙だな。

家に戻り一番大きなスーツケースにフルーツや日本から持ってきたカップ麺などを詰め、隔離に備える。
その間にも、長寧区の疾病コントロールセンターから中国語で電話が来た。
パスポート情報や自撮り写真、この2日間に立ち寄った先やデリバリーした先を電子マネーの使用記録を提出するように言われ、「虚偽の報告をすると社会的責任を取ってもらいますから」と脅された。


そんなこんなで荷物を準備していると、迎えのバスがすでに着いたという連絡あり(着く直前に連絡くれよ~)。
バスは50人くらいの大型バスで、乗っている人たちの中には、ジムで見かけるスタッフや会員もいる。
バスに乗っている間に、今度は黄浦区(会社がある区)の疾病コントロールセンターから連絡があり、
「どこで濃厚接触者になったのですか?(区ごとに連携してくれよ)」
「陽性者は誰ですか?知り合いですか?(そんなことは知らないし、私も知りたい)」など質問された。

移送バスが来る前に会社のスタッフに私が濃厚接触者になったので、明日会社に連絡がいくと思うと伝えておいたが、どうやらバスに乗っている間にも連絡があったのようで、「会社は今から48時間封鎖されます」と連絡があった。

会社が入っている階を封鎖

ジムに行く前に上司から来た電話が、運命の分かれ道だったようだ。あの時データ作成に手間取っていれば隔離されることもなかった。
旅行に行くと会社に迷惑がかかるかもしれないからと、会社と家しか行ってない(休日出勤までした~)のに、まさかこんな近くで濃厚接触者になるとは。上海市にいても隔離されるなら次の休みは遠出しようと決めた。


移送バスは濃厚接触者の住んでいる小区を回っていくようで、乗ってから2時間以上かかって、隔離ホテルに到着。
濃厚接触者の中に日本人男性らしい人がいたので声をかけてみると、わたしより遅い時間にジムを利用したらしい。

ジムのフロントスタッフを発見したので、「陽性者は何時に来ていたの?」と聞いてみると、「14時から16時で、どうやら外国人らしいよ」と教えてくれた。
おいおい、ジムのスタッフすら陽性者が誰なのか知らされてないってことか。
私の利用時間15時半から17時、更衣室も使わずスタジオに直行しているので、陽性者とは接触はしていないし、先ほどの日本人男性の利用時間は17時から19時なので、陽性者と利用した時間すら違う。
男性は「陽性者が利用した後は全員濃厚接触者にしているんですかね・・・」と嘆いていたが、おそらくその通りなのであろう。

ちなみに電話があった日の上海市発表の陽性者数は、無症状者が6人・・・。

移送バス



 

22年8月 中国入国時隔離2

ホテルは快適。

若干古さを感じるけど部屋は広いしエアコンも調整できる。43度超えの日もホテルにいたら何度あるのかわからない。
何と言ってもご飯が美味しかった。日本からパンやカップラーメンを持ち込んだけど必要ないレベル。
(写真ではあまり美味しそうではないけど)


運動不足だから弁当を全部食べるのはやめようと思っていても、美味しいのでおかずを全部食べてしまうこともあった。

とはいえホテルは一刻でも早く出たいのだが、日曜の24時過ぎ(月曜の0時)にホテル到着したために開放されるのは月曜の朝9時。
前日にホテル側から防護服およびN95マスクを渡され「明日は防護服をきて待っていてください。指示があるまでは部屋を出ないでください」と言われた。

防護服

 

ホテルから2ブロックほど先にある自宅までマイクロバスで送ってくれる。バスに乗り込もうとすると防護服はバス乗る前に脱いで、ホテル入口のゴミ箱に捨ててください、と。
ホテルの部屋からホテル入口まで着るためだけの服…。
自宅がある小区に着くと、街道から派遣された係の人が待機していて、私が住んでいる棟まで案内するという仕組み(荷物が多いので荷物を持ってもらえるのはありがたいけど、他のところに移動しないように見張るという意味があるんだと思う)。
その後は3日間の自宅隔離。自宅隔離期間中は1日2回の検温をwechatで報告し、最終日にPCR検査を受けその結果も報告。

22年8月 中国入国時隔離1

 

22年8月、日本から戻りの便は成田ー上海の春秋航空春秋航空なのに片道11,000元(22万円)超え。
22万円もするのに春秋航空はコロナ前から機内食なし、水すら出ない。

防護服を着て機内販売

そして春秋航空恒例の機内販売!コロナ禍ならではの商品として隔離ホテルで便利な折りたたみポット推し(笑)
ポットはベージュ部分が圧縮できるので持ち運びに便利。

 

空港到着後は前年同様、PCR検査を行い、住んでいる区ごとに待機し隔離ホテルへ移送される。

上海に戻った時はまだ入国後隔離継続中。それでも21年の時は14+7だった隔離期間も7+3(7日間施設隔離、3日間自宅隔離)と短縮された。
しかし今回はホテルが選べる。私は安い方のメルキュールホテル(3食付き1泊420元、8400円)を選択。

隔離ホテルでは、これから隔離の人と隔離終了した人とで動線を分けている。隔離開始の人は荷物用のエレベーターで移動。私は5階だったが一瞬どのボタンを押すべきか迷った。


空港には18時前に到着したにも関わらず、ホテルの部屋に着いたのは12時回っていた。